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社長になるまでのこと 4

12月上旬、急に社長宅に呼ばれた。経営資料を携え最終的な詰めを行った。そして、その時に僕が正式に会社を引き継ぐことが決まった。
驚くほど呆気なかった。

対外的には翌年の株主総会後だが、実質は12月21日より全ての決裁権を自分が持つことがその場で決定した。社長は体調を崩していたこともあり、自ら対応を早めに決断したのだろう。

さすがにその夜は眠れなかった。布団の中にいても目が冴えるばかりだったので、当時放映されていた「坂の上の雲」の録画を観た。
この世界に比べれば、まだまだ小さい事じゃないかと自分を納得させていた。そんな気持ちで自分を維持しようとしていた。
寒さが堪えたのか、結局、風邪を引いてしまったことを記憶している。

とりとめなく書いてきたが、これが僕が社長になるまでの経験してきたこと。

帝王学を学んだわけでもなく、経営者の準備をしてきたわけでもない。それでも会社は成り立つ。会社は毎日動いていく。
その年の大晦日の日記にも書いていたが、この一年は僕の人生の中で最も変化の激しい、スピードの速い一年だった。何年分かを一年で過ごしてしまったようだった。
トップを任される一年前に飛び込み営業をしている奴なんてあり得ない。

ここで会社以外のこと少し・・・。
社長を引き継ぐ事が決まった時、僕は実家と嫁さんの実家に挨拶に出向いた。僕の実家は岐阜で農業も含め自営をしている。僕は三人兄弟の長男。父親はいずれ息子は戻ってくると期待していたと思う。

僕が実家に挨拶に出掛けたのは、その期待を完全に裏切ることを意味していた。僕自身、そんな感じで思っていた。僕は父親に、これから会社をやらなければならない。家業はやれないとそんな様な話をした。
父親は「会社のことはよくわからんけど、あんばようやってちょ。」とだけ言った。”あんばようやってちょ”と言うのは岐阜弁で、”しっかりやってくれ”という意味。その言葉を聞いて僕は安堵とし父親の大きさに感謝した。

そして、嫁さんの実家にも挨拶に行った。その一年前、義父を癌で亡くしていた。僕は義母にこれまでの事を話した。
「これから会社を任されることになりました。家庭の事は今以上にないがしろにするかもしれません。もしかしたら、最悪の状況に引き込んでしまうかもしれません。嫁にも子供にも迷惑を掛けるかもしれません。」
そんな僕の言葉に義母は言ってくれた。

「天国に行ったお義父さんは喜んでいると思うよ。哲也さん、何も心配することなく頑張ってください。」と・・・。
僕は涙が出るくらい嬉しかった。結局、僕は周りに支えられて生きているに過ぎない。

支えてくれたのは嫁さんの存在もあるだろう。不思議なことに僕がどんな状況、立場であろうと何も変わらなかった。
単純に僕に関心がないだけかもしれないが、僕が役員を降格になった時も、給与が半分になった時も、社長になる時も何ひとつ変わらなかった。
「あら、大変、どうしましょ~。」と呑気に言うくらいで態度はいつも同じだった。そんな態度に僕は救われたのかもしれない。

長々と書いてきた「社長になるまでのこと」。
思い出したままを感情的に書いているので、どこまで伝わったかわからないが、今、こうしてこんな事を書けるのも幸せなこと。
改めて充実した毎日に感謝しなければならない。

<追記>
昨日までのブログでも多くの方から温かいコメントやメッセージを頂いた。このブログを書くにあたっては、会社の恥部を晒すこともあり迷いもしたが、この事実は会社の歴史としても残しておかなければならないし、知ってもらうことも必要だと考えた。それがあって今の姿があるのだから・・・。

僕はあくまでも「中継ぎ」である。理想を言えば、全盛期のドラゴンズの浅尾のようにしっかりとマウンドを守り、勝ったまま次の者に引き継がねばならない。それが最大の使命だ。
この実力もないボンクラ社長が当面会社の先頭に立っていくことで、周りには迷惑を掛けていくだろうが、これからも見捨てずにサポート頂きたい。

また、明日以降、このブログもただの愚か者ブログになってしまうが、引き続きご覧頂けるようお願いしたい(苦笑)。
ありがとうございました。

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社長になるまでのこと 2

実際に僕も手取りの給与ではとてもじゃないが生活はしていけない。完全な赤字。幸いにも蓄えがあったため、貯金を切り崩しながらの生活だった。休日にバイトをしようと真剣に考えていた。
若手社員はそこまで厳しい待遇ではなかったが、会社に対してのロイヤリティは完全に失くしていた時期。不安しかなかっただろう。

組織全体もギクシャクしていた。社長とナンバー2との関係性が悪化した。少し前から一枚岩に思えた2トップの関係が怪しくなっていた。
詳しい内容はここでは書かないが、結果的にナンバー2は役員を降り、しばらくして退職をした。現場のリーダーを失くしたのだ。営業部門の一つを任されていた僕が先輩を差し置き全体を仕切ることになった。

ナンバー2が役員を降りる頃、社長の会社に対する方向性が定まってきた。高齢であった社長は自らの引退を表明し、3つの中から選択することを考えていた。
「会社の自主解散」「会社の売却」「社員が引き継ぐ」。

「会社の売却」は社長の意に反する面もあり、選択肢から消えていた。残すは2つ。2つとした時点で社長の考えはある程度、決まっていたようだ。
「会社の自主解散」。今なら社員に退職金を払って処分することができる。それが一番安全策という判断であった。

誰かに任せてもいいという話もされていたが、本意とは感じれなかった。それに相応しい人物はいなかった。
幹部会でその話を切り出したわけだが、僕は自主解散の判断はやむを得ないと正直思っていた。特に反対もしなかった。トップがそう判断するのであれば仕方ないと結構冷めていた。

幹部会終了後、ナンバー2が僕を個室に呼んだ。
「哲、なぜ手を挙げない。お前しかいないだろ。」と言われた。僕は理解できなかった。つい数か月前まで、僕は組織から外れ、ほとんど窓際にいた人物。クビに近い存在ではなかったか。どうしてそんなことを言われるのか当初は理解できなかった。

このブログを書くにあたり、その当時の日記を読み直してみたが、内容は酷いもの(苦笑)。疲れた、疲れたという泣き言とトップの非難ばかり。前向きさは微塵も感じられない。情けない話だが健全な状態ではなかった。
しかし、それは僕だけではなく全社員が同じように感じていたのかもしれない。

もしかしたらナンバー2の一言から真剣に考え始めたのかもしれない。それは今でも分からない。ただその頃から、会社をどうすべきかと真剣に向き合うようになってきた。

「自主解散」という選択が本当に正しいのか。
一生懸命働いている社員はどうなる?名大社を信頼してくれるお客さんを自分勝手な論理で裏切っていいのか?本当にそれが正しいのか、自分の行動はそれでいいのかと何度も何度も自問自答した。

次第に明確になってきた。そして、答えがはっきりした。「自分がやる」という解だった。
会社全体にそんな雰囲気が少なからずあったと自分勝手に感じていた。それが後押ししてくれた面もあるかもしれない。

だが、その判断は自分に最大のリスクを与えることになる。現時点で業績は最悪。売上も前年比3割である。3割ダウンではない。ワークシェアリングを実施しているとはいえ、赤字が続いていた。
このままの状態であれば、いずれ破たんを招くことになる。無借金企業といえどもあっという間に債務超過に陥ることもある。尊敬する先輩にも揶揄された。「どろ船の船長になるのか?」と・・・。

(続く・・・)

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社長になるまでのこと 1

今でも時々考えることがある。
もしあの時、自分が引き受けていなかったら、会社はどうなっていたのだろうかと・・・。少なくない確率で会社の存在はなかった。

そうだとすると、現在、共に働く仲間、名大社を支えてくれるクライアントやユーザー、そして、僕がこの間、ご縁を頂いた知人やネットワークの存在もなかった。
あの時の決断は間違いではなかったと思うと同時に今、こうして毎日を過ごせることに改めて感謝。

本日、株主総会を行い会社を任され5年目を迎える今、いい機会でもあるので、当時の出来事を改めて振り返ってみたい。

役員を降格になったことは昨年同時期のブログに書いた。2009年がスタートした時は悶々とした状態で仕事をしていた。前年のリーマンショックで会社の業績は急降下。過去一度も経験をしたことのない落ち込みを日々の営業活動の中で実感していた。

それでも会社を辞める気持ちは不思議と消えていて、健康的な状態とは言い難いが真摯に仕事に向き合っていた。しかし、会社の雰囲気は最悪。退職する社員は後を絶たず、暗い雰囲気が全体を覆っていた。
組織の中心から外されていた僕は、会社を客観的に見ながらも一人黙々と仕事をする日々。自分に課せられた仕事をこなすのみだった。

だが、自分の環境も徐々に変わり始めてきた。社長やナンバー2にほとんど相手にされない日々から少しずつ意見を求められるようになってきた。単純に組織が疲弊していたのが理由だったのかもしれない。

そして、期が明けた4月に営業部門を任される人事が発令された。
「何という気の変わりようだ」と僕は半信半疑でしかなかったが、久々に部下を束ねることになり気持ちは盛り上がりつつあった。しかし、業績の低迷は変わらない。全く先行きの見えない時間を過ごしていた。
僕が代わる前に部門を率いてきた若手のリーダーはそれまでの態度と一変し、あっという間に会社を去っていった。

あれだけトップに忠誠を誓い、部下に対して罵倒していた存在はいとも簡単に会社を辞めた。その人事に納得できなかったのか、会社に愛想が尽きたのか、先行きに期待感がなかったのかは分からないが、僕は会社から逃げたとしか感じることはできなかった。
営業だけみれば僕よりは格段に優秀。後輩だったためいろんな話もしてきたが、それ以降は一切に連絡を取ることはなくなった。

そして、5月のある日、数名の社員と社長宅に呼ばれ、食事をすることになった。かなり重要な話がでることは覚悟をしていた。一つはワークシェアリングの実施、もう一つは僕の役員への復帰だった。

役員の復帰といえば聞こえはいいかもしれない。しかし、会社が最悪の時期にその役職は責任が重い。しかも、ワークシェアリングの中味は半端なかった。次長以上の役職は給与半分、出勤半分と大胆なもの。

僕の場合、給与半分にわずかな役員手当、出社は自由、すなわち休みはなしということだった。割の合わない仕事だった。会社は助成金の申請をしていなかったため、次長より上の役職者の生活は厳しかった。

(続く・・・)

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新しいキャリぷらとFネット拡大幹事会

16日(金)は東京へ出張。5月に移転した「キャリぷら東京」へ顔を出した。先月まで御茶ノ水にあったのだが、延べ5000名を超える学生の参加もあり、より規模を拡大するため九段下に移転した。

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元気に就活を行う学生の情報交換の場となっているのはうれしいこと。うちの会社も僅かだが協賛しているので、もっと活用せねば・・・。
ほんの少しだけ宣伝をさせてもらった(笑)。

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キャリぷら東京ふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)の事務局であるキーカンパニーさんのオフィスも兼ねる。GW中に同様に移転された。ここでも少しだけ自社の宣伝(これじゃわからんか・・・笑)。

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この日は各地域の就職情報会社(HR事業者)が集まってFネットの幹事会が行われた。ゲストを招いて新たなサービスの紹介もあったが、今回の議論の中心は次年度以降の新卒採用の在り方について。

これまで12月スタートだった新卒学生の就職戦線が翌年3月に後ろ倒しされる。それにあたり各社ともそれぞれの戦略を打ち立てている。すでにリリースしている会社もあれば、今まさに計画中という会社もあり状況は様々だが、各エリアに合致したやり方を練っている。
ブログではその戦略を披露することはできないが、僕自身学ぶべき点は多い。

どうすれば地域の企業がスムーズな採用活動が行えるのか、どうやってUターン学生にメッセージを送っていくか、ここでは活発な議論が繰り返された。こういった場は情報交換だけでなく、僕にとっては大いに刺激にもなる。

自社の足りたい点も感じ、新たな打ち手を考えねばとも弱い頭をグルグル回したりもする(笑)。
いい時間を共有させてもらいました。

夕方からは懇親会。
ここでは固い話から愚か者同士のくだらない話まで酒を酌み交わしながら盛り上がる。こういった時間も僕には貴重。日中には出てこないあっと驚くような話題もでてくる。そして、最後に記念撮影。みんないい笑顔。

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よりよい就職環境を作るために、互いに切磋琢磨し励んでいく。1社1社の力は小さいかもしれないが、ここで協力することで大きなパワーを生み出していく。今後もそんな場になればいい。
一昨日はお疲れさまでした!

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tag : ふるさと就職応援ネットワーク キャリぷら東京

やっぱり営業は面白い!

ここ最近、僕の営業といえば既存の取引先の営業同行(挨拶回り)か、知り合いの経営者からの相談で営業と一緒に提案に伺うくらい。
ここ数年、営業らしい営業なんてしていない。ポジション的に全面に出ないことが通常ともいえるが、少し寂しくもある。

入社以来20年以上、営業畑で働いてきたため、その仕事の面白みは肌で十分感じている。営業に出たいと思いながら、悶々とした日々を過ごしている毎日だが(笑)、今回、新規営業の機会を頂いた。

ご縁のあった経営者から紹介してもらったため、純粋なプロモートとは言い難いが、社長や担当者とは全く面識のなく、過去一切接点のなかったお客様。そのお客様に一昨日営業を掛けてきたのだ。会社にお邪魔する段階の緊張感が心地いい。受付で電話をし(僕じゃないけど)、応接に通してもらう。

先方の課題は事前に把握をしていたので、その課題を深掘りする。うちの会社のことも知ってもらわないといけないので、大手との違いや特徴を説明。
隣に優秀な営業マンが同席しているので、僕は黙っててもいいのだが、ついつい話をしてしまう。それも身を乗り出して喋ってしまう。かなりめんどくさい奴になってしまった。

営業マンは僕に遠慮しているのは間違いない。今となっては商品知識にしても、他のクライアントの状況にしてもその営業マンの方が詳しいのは理解しているが、ついつい調子に乗ってしまう。
それでも場を白けさすことなく(多分・・・)、お客様の聞き役も十分果たし(きっと・・・)、一定の信頼関係も築けたと思う。それが証明されるのはしばらく先だろうけど。

お客様との商談を終え、同行した営業マンに駅まで送ってもらい、電車に揺られながら、その経過について振り返ってみた。そして、改めて感じた。
僕はお客さんとあ~だ、こ~だと話している瞬間が好きなんだと・・・。
会社の中で難しい顔をして、いや、そのふりをして過ごしているよりも外に出て、いろんな業界のいろんな担当の方と話をしている方がよっぽど楽しいと・・・。
営業って、いいなあ~、営業って、面白いなあ~。とつくづく実感してしまった。

僕なんて営業経験があったからこそ、今、このような仕事をさせてもらっているわけだ。
営業を通しての人との出会い、会話の中からの学び、よりよい提案、全てのことは営業が教えてくれたのかもしれない。
やっぱり営業は面白い。そんな日を送ると、また機会を作って外に飛び出してみたいと思う。

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プロフィール

山田哲也

Author:山田哲也
出身/岐阜県岐阜市 
生年月日/1966年5月22日

大学卒業後、株式会社名大社に入社。営業部門にて、東海地区の企業に対し新卒採用、中途採用の支援を行う。その後、営業マネージャーの傍ら、インターネット事業の責任者、大学サポートの責任者の業務を担当。副社長を経て、2010年5月より社長として全体を統括。

厚生労働省指定
CDA(キャリア・ディベロップメント・アドバイザー)

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